アラカン世代になってから、
デジタルに対して「怖い」と感じる瞬間が増えました。
操作を間違えたらどうしよう。
取り返しがつかないことをしてしまうのではないか。
そんな不安が、以前より強くなった気がします。
この「怖さ」は、
単に技術が難しくなったからではありません。
怖さの正体は「分からなさ」ではなかった
デジタルが怖いと感じるとき、
多くの場合は「仕組みが分からない」ことが原因だと思いがちです。
でも実際には、
分からないこと自体よりも、
- 失敗したら迷惑をかけるのでは
- 自分だけ取り残されるのでは
- 年齢的にもう無理なのでは
といった感情の積み重なりが、
怖さを大きくしているように感じます。
昔は怖くなかったのに、なぜ今は怖いのか
以前は、新しいツールや仕組みが出てきても、
「まあ、何とかなるだろう」と思えていました。
今は違います。
- 変更のスピードが速い
- 一度の失敗が大きく見える
- 自分の立場や責任を意識する
こうした要素が重なり、
失敗を許せなくなっているのかもしれません。
「正しく使わなければいけない」という思い込み
デジタルに対する怖さの背景には、
「正しく使わなければいけない」という思い込みがあります。
- 手順を間違えてはいけない
- すべて理解してから使うべき
- 人に聞くのは恥ずかしい
こうした考えが、
一歩踏み出すことを難しくしています。
でも実際には、
完璧に理解してから使っている人は、ほとんどいません。
怖いままでも、使えていた現実
振り返ってみると、
「怖い」と感じながらも、
最低限の操作はできていました。
分からない部分は避けたり、
必要なところだけ触ったり。
それでも、
仕事や日常は回っていたはずです。
この事実に気づいたとき、
「怖さ=できない」ではないと感じました。
怖さは、慎重さの裏返し
デジタルが怖いと感じるのは、
無責任だからではありません。
むしろ、
- 失敗したくない
- 周りに迷惑をかけたくない
- ちゃんと向き合おうとしている
そんな真面目さや慎重さの裏返しだと思います。
そう考えると、
怖さを感じる自分を責める必要はないのかもしれません。
このブログで伝えたいこと
このブログでは、
デジタルを「怖く感じる自分」を
無理に変えようとはしていません。
怖いままでもいい。
立ち止まってもいい。
距離を取りながら向き合ってもいい。
1記事目では
デジタルについていけないと感じた理由を、
2記事目では
「今さら聞けない」と感じる場面を取り上げました。
この記事は、
その奥にある感情の正体を見つめたものです。
まとめ:怖くなったのは、弱くなったからではない
アラカンになってデジタルが怖くなったのは、
能力が落ちたからでも、
時代についていけないからでもありません。
経験を重ね、
責任や立場を意識するようになったからこそ、
慎重になった結果だと思っています。
このブログでは、
そんな変化も含めて、
ゆっくり言葉にしていきたいと思います。


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